真夜中のテンションで書き上げる。
そんな記事があってもいいかなと思い、不定期シリーズで書いていきます。

皆さんは下記のセリフを聞いたら、水槽で生き物を飼うことについてどう感じますか?
「この前ここで10匹買ったんだけど、一週間でダメだったからさ〜。今度はこっちのやつ入れてみようと思ってさ」
私はたまたま近くで耳にしてしまっただけで、直接のやりとりはありません。
店員さんとお客さんの会話の一部で、お客さんがぽろっと言っていました。
私は、この一言がとても印象深く残っています。
ああ、水槽の中身はインテリアでしかなくて、魚や水草は消耗品でしかないんだなと思いました。
アクアリウムの本質は自然を愛し、その一部を自分の側に切り取れたらという強い想いから生まれたのだと察します。
しかし、商業ベースとなり、継続的な購買を続けてもらうためにいつしか水草は定期的に交換する消耗品となり、魚はそれらを彩る絵の具の様なものと考えている人が多すぎる気がします。
私自身も、水草を育てるためにガラス蓋などはしていないので、魚やエビの飛び出し事故が時たまあります。
飛び出して死んでしまった生き物達には毎度の事ながらとても申し訳ない気持ちになります。
ただ、一点。
今までショップから持ち帰ったり、季節の変わり目での体調不良、引越しなどで熱帯魚を死なせてしまったことはありません。
その都度適切な処置が出来ているのか、たまたま魚が耐えてくれたのか分かりませんが、家に連れ帰ったからには水槽の中は楽園であって欲しいと思いながら世話をしています。
一週間で全滅させてしまったら、私は次の魚を迎えに行く気力がわかなさそうです。
水草だけで水槽を維持する努力を始めると思います。
(水草は枯らしてもいいのかと言われると返答に困りますが、盆栽やサボテンなども世話している身としてはやはり枯れてなくなった水草を見るのは辛いです)
結局のところ、人間の身勝手で自然を隔離すること自体が倫理的にどうなのかという終着点があります。
それでも、この趣味を楽しむためには水槽という限られた空間で生き物を飼う必要があり、そういった小さな小さな空間を創造するのが楽しいのです。
簡単な管理で、長続きして、そして自然を楽しめる、そんな水槽を自宅に置いて、癒されて、生き物の力と儚さを身を以て学んでくれる人が少しでも増えてくれればと、そんな事を考えながらブログを書いているのかもしれません。
自分が管理される側になったとき、果たして自分の管理で満足できるのか。
そんな事を考えながら水槽の水換えを楽しんでいる管理人でした。
さて、今回はここまでとします。
また次回の真夜中の水槽談義で。