真夜中の水槽談義④


どうも、こんばんは。

真夜中のテンションで書き上げる。


そんな記事があってもいいかなと思い、不定期シリーズで書いていきます。




今回は技術の継承と個人のセンスについて文章を起こしていきたいと思います。


さて、私はインターネットを多用する20代ですので、youtubeやブログなどを頻繁に閲覧しています。

そのなかでADAのレイアウト作成動画があります。

アクアリストなら一度くらいは見たことがあるような水景を沢山作っている世界のアクアメーカーADA。


故天野氏がレイアウトを構築し、小さな水槽から大きな水槽まで、多種多様な世界を作り上げています。

そんなレイアウト作成動画の中で一度は見たことがあるであろうシーンに、底床に竹串をさして水草を植栽する配置図を作成しているものがあります。


最終的な水景には関係のないものですが、レイアウトを作成する手順の1つとして動画撮影者が意図的に挿入しているシーンだと思います。

同じアクア系youtuberの方はかなりこの方法をマネて水景レイアウト動画を作成されていますね。


ここで、私が毎度疑問に思うのは、この竹串をさしてレイアウト配置図を作成する方々です。


確かに水草を植える配置をある程度目視出来るようになります。

しかし、故天野氏がこの竹串レイアウトをされている理由は植栽位置を確認するためではないです。


この竹串は大変多くの水景を短時間でレイアウトしていくために行われているものです。

ADAスタッフが個人もしくはグループで迷うことなく植栽できるように、頭の中のラフを具体化した位置を示した指標です。


つまり、レイアウト製作者自身が植栽まで行うのであれば本来は必要のない作業です。


冒頭で述べました、個人のセンスの領域だといえます。



私は経営学部出身なので、こちらの分野から例を挙げさせて頂ければ、スティーブ・ジョブズとAppleの関係があります。

ジョブズの目指していたiPhoneはスタイリッシュかつ実用的なデバイスとして、常に自分のそばにいても違和感のない存在です。

しかし、ジョブズが亡くなってからというのもiPhoneは大型化の一途を辿っています。


今のiPhone、女性が片手で画面の端まで指を届かせることができますか?

かなり限り厳しいサイズでしょうし、男性ですら手に余りますよね。


片手でさっと使える身近な存在というよりは、ディスプレイとして、カメラとして、より高性能、高機能な高級おもちゃです。


きっとジョブズが生きていたら、目指す先は本体の消失、人体との一体化といった極端な方向性だったと思います。


頭で考えるだけで目の前にディスプレイが浮かび、体の様々な動作で操作できる。

もはや自分の一部となりえてこそ、そのデバイスを手放すことが出来ず、半永久的に顧客として獲得し続けることが出来るのです。

高級なおもちゃでは、どんなに高性能でもいずれ飽きが来ます。

すると意図も簡単に人は離れていってしまうのです。


すこし話が逸れましたが、詰まる所偉人や優れた人のセンスを継承するということは並大抵のことではありません。

それは、そのセンスを素晴らしいと感じる人の感じ方それぞれで、全く異なるニュアンスとなって伝わってしまうからです。


では、センスを継承することはできないのかという疑問にぶつかります。

これは大変難しい解答がいくつも出て来そうですが、簡単に言えば目指すべき目標(この場合はセンス)が持つ技術を学べば、自ずとセンスの一端を継承することができると管理人は考えています。


竹串レイアウトでの話に戻しますが、竹串を使ってレイアウト配置図を作成する方法を知っていても、同じように綺麗な水景を作ることはできません。

なぜなら、竹串の配置はその配置者個人のセンスに大きく依存してしまうからです。


ここで学ばなければいけないのは、なぜこの位置にこの幅で配置するのか、この配置は水景のどこを作成しているものなのかなど、竹串を配置するに至った経緯、つまり技術に目を向ける必要があるのです。


センスの一端が技術により可視化されることで、しっかり観察でき、そしてその意図を読み取ることができます。

そうすれば、その配置者個人の持つ技術を盗むことが出来ます。


センスから直接学べるのは対等かそれ以上の才能を持った鬼才のみです。



簡単な例を挙げます。

故天野氏が水景を作成する中で、石の配置について語っているシーンがあります。

底床に棒を使って線を引き、スタッフへ石を配置するように指示を出すのですが、その後スタッフの行動に対して怒ります。

「なんで石を揃えて並べるんだ。それじゃあ作り物じゃないか。もっと考えて置くんだよ。目安を信じるんじゃない」


指示された線へ石を置いていったスタッフは困惑したと思います。

いやいや、お前の指示通り動いてるだけじゃないか!と。


ここで言いたかったことは、配置線はあくまでもこのラインをキープすれば美しい水景になる、というセンスの部分なわけです。

技術の部分は、置く石のサイズを変えたり、形を変えたり、向き、質感などあえてランダム性を持って配置することで自然な印象を作れという部分にあたります。

石を配置する目安線は幅、角度などなど様々な要因から決定されているでしょうから、一朝一夕に引けるようになるものではありません。


しかし、石を置くという作業においては目安線を活用し、ランダム性を持って配置すると自然な風合いになるという技術を学べます。

また、逆にいえばある程度人為的な、ファンタジー的な水景を目指しているのであれば、規格を統一し、配置する物を意図的に合わせることで人工的な水景を作り上げることもできるという裏返しになります。


まあ、ランダム性とはいいますが、全く統一感なく、味も合わない物を適当に入れて自然な風合いになるとはいえません。

そこはある程度の統一感が必要であったりと、やはり個人のセンスが必要にはなってきます。


センスの見える化は、それこそセンスが必要になります。

センスから直接学べるのは鬼才だけと言ったのはこう言った経緯があるのです。



まずは、センスを持った人にセンスを可視化してもらう。

そして、見える化するために使われている技術を学び、その技術を高めることでセンスを獲得して行く。

これが一般人たる、管理人含めた多くの人に必要なプロセスです。



またまたここで、それではセンスを持った人が身近にいない場合は成長できないのか?という疑問が浮かぶかもしれません。

ですが、大丈夫です。


あなたはすでにセンスの獲得方法を知っているわけですからね。



このインターネットの世界には、数十億という人の膨大な情報が眠っています。

その中で検索すると、様々な美しい水景を簡単に目にすることができます。


それらの水景を頭でイメージしたら、後は竹串をぶすぶすぶすぶす刺して行くだけです。

水草をブロックで考えて、ブロックの周囲に竹串を刺す。

レイアウト素材が配置されているラインを探し、その目安線、ランダム性と統一感のバランスを観察する。

観察して、観察して、観察する。


後はひたすら水景作りをとことん楽しむだけです。

最初は上手くいかないことが多いかと思いますが、継続していればかならず技術は身につきます。


後はその技術を高めつつ、ご自身のセンスを磨き上げて行くだけです。



さて、今回はここまでとします。
また次回の記事で。
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思いのたけを走り書き。

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